生きるとか死ぬとか...

2023年03月04日

 ここ最近、「生きる」とか「死ぬ」といった「命」や「自殺」をテーマにしたイベントを開催、参加したりしていろいろと考えることが増えました。また、最近のニュースやいろんな人の話や悩みなどを聴いていて、自分の「生き方」などについて考えることも増えました。

自分自身の半生を振り返ってみると最低一度は死んでいてもおかしくない経験を思い出します。その経験が今の自分の生き方や考え方の根底になっているといっても過言ではないですが、その経験とは高校1年生の時に交通事故に遭い、生死の渕を一瞬でも彷徨った経験をしました。

私自身、車にはねられた瞬間を見ることも記憶もなく、気が付いたら病院の集中治療室みたいなところに救急車で運ばれ、気が付いた時には看護師さんにいろいろと傷だらけになって、血まみれだった身ぐるみを剝がされ、傷口などを綺麗にしてもらったり、消毒などをしてもらっていた状態でした。

意識はなんとか回復しましたが、状態が急変する可能性があり、当日が山場みたいな状態だったようです。一種の興奮状態でアドレナリンが出ていたり、痛み止めの薬などのお陰で事故当日は何の痛みも感じることはありませんでした(当日、見舞いに来てくれたクラスメイトや担任の先生の話によると顔色は悪かったようです(^^;)。

事故翌日からMRIなどいろいろと検査をし、1週間ほど検査の結果まちのため入院することになりました。入院中、体調が回復するにつれ、体の節々に傷や痛みを感じることが増えましたが、傷や痛みを実感する度に自分自身が「生きている」、「生かされている」ことを実感しました。

事故に遭う前からもともと楽観的な性格だったようですが、事故に遭ってからはいつ死ぬなど先のことは分からないし、先の事で悩んだり、考えたり、過去に縛られず、とりあえず「今を生きよう」とより考えるようになりました。これまで生きてきて、いろんな人に出会ったり、いろんな価値観にふれることで、自分自身の感覚やモラル観は多分「普通」の人とは違っているということを強く認識するようになりました。

もともと「普通」という概念や「同調」に対する違和感をすごく感じることが多く、ある意味「人と違っている」ことに価値を見出す生き方をしていましたし、これからもしていくのではないかと思います。

私自身はフリースクールを通して、居場所提供や相談支援などをしていますが、他の人たちのように「使命感」「熱意」などがあまりないほうなのかもしれません。どちらかというと「自然体」「自由」という生き方のほうが好きで、世の中のしがらみなどに囚われず、自由に自分のペースでそれぞれが生きていればそれでいいという考えが強く、いろんな問題が生じても、抗うよりはなるようになるといった生き方をしている感じがします。

自分自身「夢」というものがなく、どちらかというと「欲」のほうがあるのではないかと最近感じることが多いですが、「欲」=「生きる」といった生き方もありだと私自身思っています。

「生きる」こと「死ぬ」ことどちらもそれなりにエネルギーが必要なのでないかと思いますが、私自身は「生きる」とか「死ぬ」とか考えるよりも「楽」したいという気持ちが強いのではないかと思います。

この先どうなるかは私自身わかりませんが「なるようになっている」ような気がします(^^;

私の独り言にお付き合いいただきありがとうございました(*^-^*)